「だってあいつったら、ひとを馬鹿にしたみたいな笑い方するから、あたしたまりかねてついに怒鳴りつけちゃったのね。そうしたら、それをみてた睦月が、お前頭大丈夫かよ?って、さも呆れたって風に言うもんだから、さすがのあたしも堪忍袋の緒が切れちゃって、気が付いたらポトスの鉢を床に叩きつけてたのよ」
美術室はねっとりとした油の匂いで淀んでいる。
僕は、首に巻いていたマフラーを解いて、窓枠に寄りかかった。
「もうほんと信じらんないったら、あんただって、こんな目にあったら怒るでしょ? ね、どう考えてもあたし悪くないよね。だって、そんなの睦月のほうがおかしいでしょ? もう、ほんと信じらんない」
指先がカサカサに乾いている。冬の刺す外気と隔てられたこの場所でも、乾燥警報の兆し。
「姉さんさ、」
「なあに」
「睦月先輩んちに行ってたの?」
背を向けたまま漆黒の絵の具をキャンパスの画面へと力任せに塗りたくることに熱中していた彼女は、勢いをつけて振り返るなり飛沫をとばして激しくまくし立てた。
「そうよ昨日は授業が終わるなりわざわざジョンブルのショートケーキを買って行ったのよ、それなのに睦月ったら犬っころに全部食えって箱ごと床に放り投げるし、その犬は犬で憎たらしく笑うし、相変わらず部屋は散らかってたし、しまいには引き取りに来いってあんたに電話する始末。もうほんと散々だったんだから。今思い返しても胃がムカムカするわ」
そういって彼女は筆の柄の先を噛んだ。
僕は、脇に並べられている様々な風貌をした石膏像を眺め回し、
「……ローマで作られた石像が夜中に笑うってほんと?」と尋ねた。
「なにそれ?」と彼女は鼻で笑って僕をあしらい、「あんた、きのうどこにいたの?」と聞き返した。
「いや、別に」
「どこなのよ?」
「……姉さんと睦月先輩は、別れたんじゃなかったっけ」
彼女は、歯形にまみれた絵筆を僕に投げつけた。そのまま僕の肩をはじいて、からん、と硬質な音が木霊し、床を転がる。
「ばかなこといわないでよ! わたしたちが別れるわけないじゃない」
彼女は鬼の形相でキャンバスの縁を睨み付けている。
「あのね、あたしが睦月を好きな気持ちは変わらないの。なのに、離れ離れになるわけないじゃないの。別れる理由なんかないわ。それに彼、あたしがいてあげなくちゃ、どうしようもないんだから」
僕は、歪な木作りの椅子の足元に寝そべっている絵筆を拾い上げた。
窓枠がガタガタ音を立てたので振り返ると、叩きつけるように激しい雪降りの合図だと知った。
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