子供の頃はヒーローになりたかった。時間が経ったらいろいろわかりますね。こんなしょうがない大人になりました。どうにも、ごちゃまぜなかんじで勝手に人生過ごしますわ。 とにかく回収されるまでが生涯です。骨の残る破棄物編集所へようこそ。
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というわけで、このサイトはブログとツイッターの温度差を味わってもらうという選択肢も生まれました。
こんにちはありがとうはじめましてるてるぼうず
今日は雨が降っています。もう梅雨ですね!
こんにちは。見ている人がいないのが前提だったこのブログも何人かたどり着く方がいらっしゃるんだなぁ、すごいなぁとおもっているところです。
ネットでは嘘ばかりでした。
私のことです。
どうでもいい暴露をしてかってにすっきりしようとしているのは私なので、暇な人がいらっしゃったらお付き合いいただくくらいでいいんじゃないかと思います。
うそつきです。
現実では嘘つきが仇になるので、うそはそんなには(……)つきませんが、でもうそつきだなぁと思うことがあります。ネットの中です。
ネットの中でうそをつきすぎている、というか、本当のことをこれまで何一ついわずに、まるっきりの本心で渡り歩いたことがちっともなかったので、嘘つきだなぁいやだなと思います。いろいろなところをわたりあるいて、自分が何者か、なにも明言することなくきたので、とうぜんのことながら別人になりすますこと(できてないけど)がこのブログでもやってました。ちょっとつかれました。だから本当のことをはじめて書いてみようと思いました。
ちまたではサイトばれとか、そういうのがこわいなと思っていて、まぁよくかんがえたらそんなばれることもはっきり言ってないわけですが、期待されている自分像ばかりではない、ネットの変な特性に感化されて書いてみた文章ってはっきりいって、なんかちがうじゃないですか?知り合いのあいつがまさかこんな文章を?お前誰だよ?てきな。わたしは、本心を見透かされるのが怖いです。どこのだれかわからないままの、のっぺらぼうのわたしならこの「わたしは、本心を見透かされるのが怖いです」という一文だって過ぎてゆく矢のごとしだしどうだっていいし、とくだんなんもひっかかることもないし、べつにどうも思わない。あなただってそうでしょう?だけど、じつはあいつが、「わたしは本心を見透かされるのが怖いです」とか書いてて、実は知らされているはずのないサイトで書いているやつが、あいつと同一人物(あなたのまわりのいずれか親しい人とか)だとわかったら、おまえだれだよ?ってなるじゃないですか?わたしはわたしであることがばれるのが怖すぎて困ってましたが、もういったんこれやってみなくちゃなんだかしこりがいつまでも何億年も何光年先までものどにつっかえたままで辛いのでそういうふうによーいどん、でピストルの空砲を鳴らすことにした。という、どうでもいいはなしです。
女です。直美といいます、由来はまっすぐな美しい心であるようにとかいう意味だそうです。でもわたしは最近、旧約聖書に出てくる2人の息子の母親、そしてルツ記という題名にもなっているルツの姑という立場のNaomiという人物がいることを知ったのでそれのほうが自分が生きているうえで全く馴染みないからおもしろいなと思いました。といっても私は別に何かの宗教を信仰しているわけもないし、自分が母親になる気持ちさえ今のところちっとも湧いてこないので、これを由来にすると変に皮肉みたいな名前かなとも思いますが、それもまた面白い気がするので、それを偶然とはいえもうひとつの重要な由来だととらえてみます。
私には家族がいて、日本の全世界の平均的にみると比較的豊かな郷土の中で何不自由なく暮らすことが出来ているわけですが、なにがたのしいかってと、歌うことと音楽がなんか特にすきです。カラオケいかなくて、ただ部屋とかでらららっとうたうので十分満足です。やっぱりお風呂場で歌うと特に満足します。なんだか小学生みたいな文章ですが、書きたいことを書こうとすると本来はこういう小学生みたいな文章になるんですね。気取り屋でもあったようです、あーなるほど気取り屋なんですね私いまよくわかりました、なるほどそういうこと。
ともかくなにがすきかというと、あとは自分のためだけに書いた小説を読むことです。よくかんがえたらすごくきもいです。でもしかたないですよね、これは小学生が書いている文章だと思ってください。二十歳すぎてるのに、ちっとも大人じゃありませんね。大人ってなんなのかもよくわかりません。でも、もう20過ぎて大人でないと思える自分がもうここまで来てしまったのでしょうがないと思いました。そんな大人じゃない私は、なんかてきとうに曲をふんふんうたうのと、知っている音楽をるるらら歌うのがくせなんだということがわかり、くせ、たとえば、いつもおなじごはんのメニューをたのんでしまうとか、しらないあいだに選んでたなんとなく手に取った本がいつも同じほんだったとか、そういう繰り返してしまうくせというのが、自分の好きなことなんだなと知りました。他のひとに言われたからです。好きだ!とおもって起した行動ではないのに、なんとなく選んでいた、それをみてたひとがそれすきなんだね、といったので、その積み重なりがじつは好きなものを形成していたんだなとわかりました。あなたもきっとそうでしょう?じぶんで気づいていない繰り返しはすきなものかもしれないとか考えてみたことありましたか?「嫌じゃない」がたくさんで、自分でよびこんでたり、取り込まれてたりしたらきっとそれすきです。あなたもきっとそうです。違うかもしれないけれど、その可能性もないとはいえないです。
小学校のときは作文が好きでした。
だから自分のためだけに書いた小説をかこうとおもって、それで書いてみて、後で読んで、ゴミ箱には捨てきれなくて、でも雑誌とかに発表したいとか、とかそういうたいそうなもんじゃないしそういう、たいそうな気持ちで緻密に書き連ねたものじゃないし、だからこのブログにかいた。私はどこかでだれかがかってにまわしてる世界の中でちりみたいにこの小説ともいえないちいさくてくだらない話が消えていくとおもしろいと思っています。通り過ぎてすれちがうだけの他人みたいなそういうあやふやでわすれっぽくてどうでもいい存在なら、おもしろい。
おもしろいことが本当はとても好きです。でもおなかを抱えてわらえることをじぶんじゃちっとも作ることが出来ないので、ほかのひとの面白いことをみてゆかいにわらっているのがいちばんたのしいです。中学校はそういうことも出来た記憶がある気もするけど、いまではもうそれもなくて、もうそれでいい気がします。なにもない透明人間でわたしはわらってゆかいで、だれもわらわせられることがちっともできなくていいかなとおもいます。負けたと思うのがキライなので、ほんとうは全然良くないけど、笑わせることは適応しないです。でもほかのことはイライラするくらいとくにいらいらいらいらくることがあります。心がとても狭いなと思うし、たっせいするぞとおもっている他のことが出来なくて、それでその目標を達成しているほかの人のことを素直によろこべません。出来ればいいと思うけれど、たぶん妬み?くやしいとか競争心とかそういうのよりというよりもっと汚いいらいらで、困ります。いいな、とかじゃなくて、なんでできるのか、どうして自分はできないのか、そういうのがイライライライラしてそういうのがいやになります。だからもっとがんばろう、もっとがんばろうと思って、そういうイライラを気にしないようにしていると、こんどは気持ちが沈んで暗く悲しい気持ちになります。なんだろう、怒ろうと思うと、世間様はおこってはいけないよという風潮だし、だからといってそれをなかったことにしようとしたら、元気がなくなって、元気ないとみんな元気ないよ大丈夫?といいだすので、元気でいなくてはいけないので、いつも元気でいます。でもすこしつかれます。だから、小説を書きます。自分のためだけの小説。だからやまもおちもいみもだいたいないです。だけど、題材は現実と密接な内容と関連した事を書いていることもありました。
そういえば、特に印象に残ってたなかでも、たとえば「ぼくんち」は私の父さんがモデルです。現実と違うところはほんとうは父さんのお母さんがろくでなしではなく、父さんのおとうさんのほうがろくでなしでお母さんがかわいそうということです。
わたしが、僕表記が多いのは、小学生の頃男の子がうらやましかったからです。そういう気持ちをネットで変換して満足したかったからみたいです。あ、でも誕生日とか、本当のことだった。操縦桿を握ったことも、海外に行ったんでやったんです。だからわすれたくなかったから、なんとなくスパイ風に…。
なんか書いてて自己完結しちゃいました。
まぁこれでいいらしいです。わたしここにすこしかけたからそれでなんかすっきりしたんだと思います。
ふじ、けっこう気に入ってます。けっこう嘘つきながらほんとのこともまぜくちゃってて、好き勝手でした。わたしは好き勝手だとわかっているのに、それをやめないので、好き勝手がすきなんだなとわかりました。
ここは好き勝手な場所になりますね、以前よりもっと勝手な。私は直美ですが、ふじにもどってもうだいじょうぶかもしれません。おもしろいです。うそついたことを読む人が仮に居たら、そのひとがほんとうのこともしっているかもしれない、そういうばしょがここにあるから、直美とかいうやつが、ふじになりきってなんかやった気でいるんだなとかそういうふうに知っている人がいる、それでいいです。うそつきでいいです。うそつきなことを知ってるひとがいるかもしれないからそれでいいです。なんてかあれですね、サーカスのピエロみたいなもんですね。あるいは三流役者が四苦八苦してちぐはぐな役柄をまっとうするような。
いろいろほんね書いたらどうでもいいことばかりになりましたので、またどうでもいいことかこうと思えました。そうして気が向いたら消すと思います。読んでる人がいたら、ありがとう。そういうわけで、気が向いたらさよならする、それまでは