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子供の頃はヒーローになりたかった。時間が経ったらいろいろわかりますね。こんなしょうがない大人になりました。どうにも、ごちゃまぜなかんじで勝手に人生過ごしますわ。 とにかく回収されるまでが生涯です。骨の残る破棄物編集所へようこそ。

たゆたうダストボックスの燃える日

   
カテゴリー「小話 疑う心を殺すとき」の記事一覧

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疑う心を殺すとき

まだ10代だった頃にさ、叔母さんが大嫌いになってたんだ。

でもそれは今の自分だった。

**


安全圏から出られないでいる。そして人の批判を恐れ、人からの拒絶を恐れ、同意しかない狭い世界の中で怖いものだらけだった。ぜんぶどうにでもなーれ!精神でいることを忘れた、そういうぬるま湯に浸された空間に甘えっきりだった。


やさしい、してあげる。 そういう言葉は使わないルールだった。自分の中でのきまり。それらは絶対に口にしない。

甘え、ワルグチは悪だ。嫌な顔をしない。そう教えられてきた。本心を言わなくなる。そして同調の仕草、さらに曖昧な存在になる。そして浮くのが怖くなったので、自分が特出してしまう杭になることもしない。そう決心する日が訪れていた。出来上がる子どもの頃に大嫌いだったインチキな大人。

しかし世界は変わるのかもしれないな?

常識は非常識で、70億人の人間がいれば、70通り以上の正義、批判、価値観がすべて矛盾していて当たり前だったのに気づかないでいました。

叔母さんが大嫌いでした。

絶対にこんな風にはならないと決め付けて、自分がそうなってた。唖然。驚愕。だから唐突に湧いて出た。

叔母さんを嫌うのも潮時だな、なんてね。


というより、自分も芥子粒だから叔母さんも芥子粒で全世界の人間みんなおんなじかもしれない。芥子粒がたくさん集まってそのひとつどうしなんだ。

大嫌いな叔母さんにも正義があったので私は批判されました。
しかし私にも私の正義があったので(心の中での)折り合いはつきませんでした。

しかし自分は、表面だけで納得した振りをするのが習慣になっていたので、その癖はほんとうにいやしい癖だし、さらに厄介だったのは、いまは別にギスギスした関係でもないことが後ろめたかったことです。

さようなら、卑屈と同調と曖昧人間。個人主義の皮を被った不親切主義とはおさらばする。
単純バカで結構。疑心を蹴散らして興味と人間に干渉しよう。嫌われて結構。はきはきしたやつになろう。

小学生のときの自分が好きになれる大人は、きっとお前だ。
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ぬし

ふじとう(moccomoco)
音楽と芸術と歌といろいろを愛する22さいの人間です。さいきん内面の統一をはかるいみで別名でツイッターやってみたりした。ここはとにかく燃えるごみ出しの日に出しきれなかった愛着あるごみくずたちを丸めてポイするより救いのあることは何かって考えて、それでただならべた

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