「お前はいいね」
毛並みのふさふさした心地に意識をたゆたわせてつぶやく。手触りの先の静止物は目を閉じたまま呼吸する気配さえなく、そこに佇んでいる。傍らの懐中時計がこつこつたんたんと時を消費していることを示唆する。
陽気な朝の光彩が窓の外から時空を飛び越えてもれだしてくる。
少女はきゅっと唇を引き結んで黙り込んだままのテディベアの頭部にそろりと手のひらをすべらせると、この部屋ありったけの衣服を詰め込んだボストンバッグを抱え込んで立ち上がった。
さようなら。
外界への逃亡をまるで歓迎するかのように閉じていた扉のドアノブが容易に回る。何者かに名を呼ばれた、そんな気がして、一度だけ肩越しに身を翻すとうたた寝でもしているらしい毛むくじゃらの生命さえ拒んだくまが、たおやかに微笑み頓挫していただけだった。
さよなら。
口にはせず、少女はその部屋をあとにした。
残された机の上には、かつての100万光年先とをつなぐ別世界の入り口の孤独が、中空を漂うばかりであった。
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